韻とアイデアほか

日本語の押韻などに関する走り書きetc...

【整理】自然な語順で韻を踏むには?

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「昔々、あるところにお爺さんとお婆さんがおりました。

 お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に...」

 

 読んでみてください。ごく当たり前に知られている昔話、桃太郎の導入ですね。使い古された古典です。では、この文章を単語の脚韻を踏みながら書き直してみましょう!

 

 ...と言われたとき、どうすればいいでしょう?

 

  最初の一文をいくつかに分けてみます。「昔々」「あるところに」「お爺さんとお婆さんが」「おりました」...ではこれらを"体言止めになるように"並べ替えてみましょう。手法は過去記事『倒置押韻法とそれによる弊害』『部分倒置をつかって動詞で脚韻をふむ』に書いた方法を用います。

 

 

 では並び替えてみます。するといくつかのパターンに分かれますが...

 

① 昔々、おりました - あるところに老夫婦
② あるところにおりました、お爺さんとお婆さんが昔々
③ 昔々、おりました - お爺さんとお婆さんがあるところ
④ 昔々、あるところにしていました - お爺さんとお婆さんが存在(居住)

 

 このようになります。馬鹿馬鹿しいですがひとつひとつ検証していきましょう。

 

 まず①、『お爺さんとお婆さん』の末尾『お婆さん』は接頭辞"お"接尾辞"さん"がくっついた3語と捉えられるので、これらを分解して"婆"一語のみを体言止めに持っていきたいです。

 しかしこの"お""さん"は倒置が不可能です。よってひとまずここでは『お爺さんとお婆さん』を『老夫婦』という単語に置き換えることで体言止めという条件をクリアしました。しかしこの場合、『お爺さんとお婆さん』というくだけた言葉遣いができなくなってしまいます。

 

 ②は『昔々』で体言止めをしましたが、この一語のみを倒置すると『あるところにお爺さんとお婆さんがおりました -昔々』のように倒置が最後に急にきて文章のリズムが悪いので、『おりました』という語も文章のはやい段階へと倒置しました(この"倒置の急さ"に関する記事はいずれ書きたいと思います...)。

 この体言止めの欠点は『昔々』という汎用性のたかい言葉でしか押韻できないため、多様な昔話を作るのに向いていないというところでしょうか。つづく③も同じような倒置を用いています。

 

 そして④は前述の記事で生み出した"部分倒置"の手法を使って、『おりました』を『存在/居住』『していました』の二語にわけ、後者を倒置した形になります。この形式によって『昔々』『あるところ』などの汎用性の高い語を避けることで、韻律に多様性を生み出すことができます。

 しかしご覧の通り、とても一文が長ったらしくなってしまいました。加えて『存在/居住』という単語はとても昔話の導入としては堅苦しく、子供に聞かせるための語とは言えません...

 

 そして倒置押韻詩という前提を取り払って考えてみましょう。この4つの文章はどれも子供に寝床で聞かせるには文として不自然すぎます これが節にあわせた手毬唄かラップか何かならまだ大丈夫でしょう。しかし「おはなし」として聞かせるときこの形式では普段つかう口語からはあまりにもかけ離れていますし、とうてい無理があることは確かでしょう。

 

 これまでのいくつかの記事で筆者はこのような非口語的な文章を前提として倒置法を考えてきました。しかし考えてみれば叙情詩は口語であることが多いですし、ラップならなおさらです。なにより一般人が踏み込むには事前知識が多く、敷居が高すぎます。

 

 もちろんこれらの前提は国語などの教育過程に押韻が組み込まれることで解消されていくでしょう...しかしそれでも、英語や中国語やフランス語などは口語の延長で定型押韻詩が書けるわけで、日本語でそれができないとは言ってられないと思うわけです。そもそもそれが日本語ラップの普及の障害になってきたことは明らかです。

 

 ではどうすればいいんでしょう?ということで、初心に帰って以下の例文を見てみることにしましょう。

 

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 以前この文章を紹介したとき、筆者はふた通りの倒置方法を紹介しました。ひとつは動詞を手前に持ってくる、K Dub Shine以降の一般的手法です。

 

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 実際にはこの「たべる」に「よ」などの口調を付け足し『わたしは 食べるよ りんご』のようにすることで、堅苦しさや「食べるりんご」で一つの目的語になってしまうバグを解消する、ということを提示したとおもいます。

 ふたつめに紹介したのは動詞「食べる」を熟語と接尾辞に分割し、接尾辞の部分を倒置する方法でした。以下のように...

 

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 こちらの場合も「する」の後に口調を付け足し、堅苦しさを解消するということを述べたと思います。

 しかしさて前述の通り、このような体言止めは口語には見られず、一般人のひとたちが触れるには不自然極まりありません。というわけで、必然的に体言止めという手法を禁止することになります。

 

 さあここからが本番です。問題を明確にしましょう。

 我々が今回目指しているのは『口語の延長にある定型押韻詩』です。口語の、延長にある...定型押韻詩。

 『定型の、押韻を使った詩』と考えてみてください。つまり、"脚韻"でなくてもいいのです。定型でさえあれば、です。なので例えば、文章の頭で踏む韻、"頭韻"でも定型であれば定型押韻詩なわけです

 

 しかし日本語の語順はSOV型であり、文のはじめにくるのは一般的にS、つまり主語です。日本語ではしばしば主語をはぶくことができますが、基本的には主語、目的語、動詞の順です。もちろん主語のみでは韻のパターンは限られてしまうでしょうね。

 

 そしてもうひとつ重要なポイント...一体なにが口語に近く自然なのでしょう?

 思うにそれは文末の接尾辞、そして口調に尽きるでしょう。例えば「今日ネットで新しい音楽を知った。アレは面白そうだ」と適当に口にしてみると、この2文の末尾はやはり『知/った』『そう/だ』のように接尾辞になっています。やってみてください。

 実際、この記事の文の90%以上は文末が口調で終わっているかと思います(確認はしませんが)。つまり自然な文章を書くうえでは、動詞に付随する接尾辞や口調が最後にくることが日本語では絶対条件になるということです。

 

 条件をいくつか並べたので整理しましょう。

 

  ①文章の頭に韻を置き

  ②主語以外の語を用いて踏み

  ②動詞などに付随する接尾辞、口調が最後にくる

 

 これらの条件を満たす文章を構成すれば、定型押韻への道が開けるはずです。ではかんがえてみると...出てくる答えはひとつに絞られるかと思います。

 つまりこう!

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 目的語(O)、主語(S)、動詞(V)の順番に並べ換えるわけです!筆者はここでこれをOSV倒置と名付けることにします。そして頭の目的語『りんご』で韻を踏む...どうでしょう。「りんごをわたしはたべる」のように、文章も至って自然といえます。この勢いに乗って、適当に定型押韻詩も書いてみました。

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 どうでしょうか?文章は自然なまま、文頭で『インド-りんご-ミント-人魚』の語で韻を踏んでいます。音として弱いと思う場合は1語でなく2、3語で踏むなどすると効果的かもしれません。逆に音が少々しつこいと感じる場合はABABの四行連にするなどして、韻律の起伏をおおきくすると良いとおもいます。

 

 このOSV倒置は自然な語順で韻を踏みながら文章が書ける以上に、英語のWhileやBefore、Whenなどにあたる語を使って押韻詩が書けるという点が特筆すべき点です。従来までの体現止めを駆使した韻文のばあい、どうしてもこのような接続詞を組み込む際に無理が出てしまっていました。よってほぼ全てのラッパーは接続詞そのもので韻を踏んでいます("今日も浴びる/辛さを忘れるため"とかそんな具合に)。

 

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 というわけで今回はOSV倒置を使った自然な語順の定型押韻詞を提案してみました。もちろん万能ではないですし、使っていくうちに問題点も多々浮き出てくるでしょうが、ソレはソレです。なにせこんな方法論は従来存在しませんでしたしね!デバッグ作業に勤しみましょう...

 

 ではまた次回のTipsでお会いしましょう。...おっと、忘れていました。昔話の導入を韻を踏みながら書き直すのでしたね。ではこちらの作文をもってお別れといたしましょう。韻のおもむくままに...

 

老夫婦が昔々、あるところにおりました。

高級酒を飲み干して、お爺さんは山へ、

要手術の病を押して、お婆さんは川へ...