韻とアイデアほか

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【研究メモ】日本語ラップのストーリーテリングと構造問題:㊤情報量との闘い

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日本語ラップストーリーテリング

 ※ 22/03/15 うっかり書いた説教くさい段落を削除しました。

 

 て、察しの良い方はお気づきと思いますが、近頃このブログではストーリーテリングに関連するアルバムを翻訳させていただいております。翻訳といってもつたないものなので"練習"と銘打たせてもらってはおりますが。

 

 ラップにおけるストーリーテリングというのは、主に情景描写人物紹介行動撮影意識の流れの記述、そしてそれらを行き来するナレーションカメラワーク...などなどによって成り立っていると思うんですが、日本語ラップで("単語単位で脚韻をする"という前提を抜いたとしても)それを事細かにやっている例ってあまり無いと言っていいと思うんですよね。

 

 ストーリーテリングって作詞力を測る一種のリトマス試験紙だと思っていて、具体性、構成、もちろん文中や末尾での押韻...などなど、とにかく求められることが多いんですよ。典型的なブラガドシオやバトルライム、パンチラインラップなんかだと多少歌詞が前後しても成立しますし、コンシャスラップや等身大なポジ/ネガのメッセージを含んだラップも案外そうだったりすることが多いです。が、ストーリーテリングだとそうはいかない。

 

 なので海外で行われているそれらを、日本語でどうやって落とし込めばいいのかなあ~...というのを明らかにしたくて翻訳をやってたりしてるわけなんですが、まあそれはともかく。

 本記事では日本語ラップにおいて、ストーリーテリングがどう試みられてきたかを整理がてら軽くおさらいしつつ、何が課題として残っているのかを考えていきたいと思います。

 

 

1.日本語ラップストーリーテリングの例

 

 例があまり無いとは言いつつ、もちろんそれは「まともな曲がない」という意味ではないです。知ってる範囲で上げさせてもらうと、

 

K Dub Shine: "スタア誕生"、"理由なき反抗"、"天下の回りモン"

Zeebra: "The Untouchable II"、"Children's Story"、""

・TheBlueHerb: "未来世紀日本"、"路上"

Shing02: "少年ナイフ"、"星の王子様"、"イカルス"、"旋毛風"etc...

志人: "暗殺者の恋"、"ジレンマの角"

小林大吾: "三角バミューダの大脱走"、"椅子の下の召使い"、"リップマン大災害"etc...

Seeda: "Son Gotta See Tommorow"

・Dotama: "Ratmad"、"神さまになった少年"etc...

Meiso: ”真夏の枯葉

・灰汁: "トーテムポール"

・Kuroyagi: "窓越し"、"知られてる!"

Zorn: "Tokyo25世紀"、"Alice In Underground"、"雨、花、絵描き。"etc...

 

 とまあ軽く思いついたモノだけでも、この程度は上がってくるんですよ。

 

 では(単語韻とかを除いて)何に不満かといえば、色々ありますが一番に上がるのは主語が抜けすぎているということなんですよ。どういうことかというと...まず上述した以外の曲を追ってみましょうか。

 

鬼 - 小名浜

 

小林勝行 - 108 bars

 

 どちらも本人の体験を追った準ストーリーテリングの名曲ですね。日本語ラップに熱心だったころ死ぬほど聴きました。が、それはともかく。

 

 重箱の隅をつつくような真似はしたくないのですが、どちらもイメージが断片的で、いわゆる"意識の流れ"の手法を使った曲になってますよね。この2つのケースだと、それが人生の回想ぶりや曲のスピード感につながっていて効果的なのですが...

 

 こういった曲と同じようなことが日本の(架空を題材にした)ストーリーテリング系ラップでも起きてるわけです。ひとつは前述したとおり主語がほぼ存在しないこと、そして次に、それが間接的に起因するイメージの断片/抽象化、そして最後が時制を表す助動詞の消失です。

 

 具体的な例を見ていきましょう。まず日本語ラップ史で一番最初のストーリーテリングと思われる、"スタア誕生"のリリックを見ていきますか。1バース目は舞台設定が主なので2バース目を。

 

 

2."スタア誕生"と不変の問題

 

 

 

その数日後かけてみた電話に / 翌日面接 嬉しい展開

約束の時間3時に渋谷のハチ公 / は友達と

「すいませんね、遅れてごめんね / 説明事項など、じゃあそこらへんで」

4、5分歩いた事務所の場所 / 入り口暗証番号付きマンション

暗いエレベーター押す12階の一番奥 / スタジオみたいな部屋に通され

紅茶だけ出され / 「ちょっとここで」と待たされ

時計の針の音ばっかり /  怪しいのかもこれやっぱりと

一瞬よぎった"やめればよかった" / 思った時にはもう遅かった

カメラの男がひとり / あともうひとり

太った顔した男がゆっくり笑って倒すテーブル

伸ばしてくる手がコートをめくる

小さく響いたあきらめの声 / 目の焦点遠くのほうへ

スターになる夢見育った / こんなふうじゃなくてもよかった

 

 色あせない傑作ですねえ。ハチ公→マンション入り口→エレベータ→12階の奥→スタジオと、移動する様子がよくわかります。

 問題の話に移りましょう。20数年経ってからリリックにケチつける、という訳ではないですが、"95年の詩だから"で済ませられる話でもなく、この詩だけで「日本語でストーリーものをやる上での問題」が表面化してると言ってもイイでしょう。

 

 上述した歌詞、赤字が時制(過去現在未来...)を明確に表した述語を、青字が主人公の女性目線で書かれたであろう(一文中に述語と目的語を含んだ主語を表してます。で...なんというか、つまり情報量が少なくないでしょうか?

 

 いえ、もちろん分かります。「これはラップだから」とか「文脈や行間を読めば分かるだろ」とか、あるいは「1小節に入れられる音節が限られているからしょうがない」とか。それは理解しているんですよ。

 つまり言いたいのは、日本語ラップは脚韻しながら小説のように流暢に書くことは不可能なのか?ということなんです。

 

 我々のような耳の肥えた日本語ラップリスナーは、前提として制限されていること、いびつであることを受け入れてるのでその点をついつい忘れがちです。ですが、例えばブームが去った後の一般人から「"俺は東京生まれB-BOY育ち/悪そうなやつは大体友達"」のラインが苦笑を誘うものとして扱われていたように、現在も文章はいびつなままなのです。

 

 ちなみに上述の"東京生まれ~"のラインがなぜ頭悪そうに見えるのかは、先ほど指摘した時制がないことに起因しているものだと筆者は考えております。これが例えば「俺は東京生まれB-BOY育ち/悪そうなやつは大体友達だった」のようだったら、そこまでネタ的扱いもなかったものと思われます。もちろん、それでは脚韻が成立しないので無理な話なんですが

 

 

 話をスタア誕生に戻しましょう。さきほど"小説のように"と書きましたが、ここではそれを「一文に主語、述語、目的語がすべて入っている」と定義させていただきます(完全に自然な日本語だと、末尾が動詞+αになって単語韻で脚韻できないですからね)。で、それに該当するラインは...

"太った顔した男がゆっくり笑って倒すテーブル

伸ばしてくる手がコートをめくる"

 この2行ですね。さらに厳しく見ると、活用語尾や助動詞を含まない単語韻で脚韻しているのは最初の行だけになります。「倒すテーブル」という風に、倒置法を使っております。

 

 しかしこの最初の行、よく読んでみると「テーブルの上に押し倒されている」のか、「テーブルそのものを倒している」のか分かりませんよね。聴いたほぼ全員が、文脈から"前者であろう"と想定はするでしょうが、不明瞭です。

 

 いちおう、なぜ不明瞭か簡単に説明すると、このばあい述語"倒す"の指し示す目的語になりそうなものがテーブルしかなく、本来倒すべき女の子が文中にいないからです。仮に女の子を明記しないまま記述するにしても、「倒すテーブル"へ"」と、後ろに助詞を加えて補助してあげる必要があります。

 しかしその場合、文末に「へ」というノイズが加わってしまうため、"テーブル"と"めくる"の脚韻ができなくなってしまうわけですね。これではラップとして本末転倒です。

 

 もしテーブルという韻を動かさず文の意図を明確にするなら、「太った顔した男がゆっくり笑って倒す - 私(彼女)をテーブル」のような感じになると思います。日本語として若干不自然ではあり続けますが、ともかく意図は明確になったでしょう。

 

 ...ここで何か気付いた方もいらっしゃるでしょう。そうです、このリリック、進行するさいに一人称なのか三人称なのかが曖昧なのです!

 

 つまりですよ。このリリックにおいて、"スタジオみたいな部屋に通され/紅茶だけ出され/「ちょっとここで」と待たされ" ているのは"私"なのか、それとも"彼女"なのか?ということなんですよ。これが文章表現として決定的に違うのはお分かりですよね? 

 

 これが"私"であれば、男の手からテーブルへ紅茶が出されるのを"私目線で"見たことになります。これが"彼女"ならば? それらの動作を"彼女を含めて"遠方から捉えていることになります。体験として描くのか、客観的に説明するのかの違いです。

 

 ほぼすべての日本語ラップの楽曲が、この視点を欠いているんです。そしてほぼすべてのパターンで主語が抜かれており、結果的に"一人称のような感じ"というフワフワした雰囲気で話が進んでいきます。そう、日本語ラップで"彼/彼女"などの三人称で進行する曲はほぼ皆無なのです。自分はShing02氏の"イカルス"とZORN氏の"雨、花、絵描き。"くらいしか思い浮かびません。

 

 

 話がズレまくりますが、再びスタア誕生に戻りましょう。

 そうそう、「テーブル"に"倒してる」のか「テーブル"を"倒してる」のか、という話でしたね。そして目的語として女の子を足しましょう、ということでした。せっかくなので今回は三人称を加えることにしましょう。こんな具合に。

 

太った顔した男がゆっくり笑って倒す - 彼女をテーブル

 

 さてここで我々に新しい問題が浮上します...音節が多すぎる!

 これはゆゆしき事態です。修正したこのライン、ケーダブ氏ようにフローするとまるまる2小節埋まってしまいます。こんなんじゃ英語圏みたいな1小節で1文が収まるラップなんか無理じゃないかという話ですよね。

 

 おそらくこういう問題への衝突は日本語ラップ90年代末期からあったのでしょう。よりちゃんとした文章をビートに乗せられないかと。

 そして当然の帰結として、1拍に刻む音節を4から6、つまり16ビートでなく24ビート解釈で字を詰め込むようにラップするアーティストが現れることになります。

 

 SOUL SCREAMラッパ我リヤ餓鬼レンジャーGAGLEのようなメジャー移行組、MSCやICE BAHNなどP-VINEでリリースした中間層、Shing02Tha Blue Herb降神のような有名アングラ勢に至るまで、この00年代に特徴的な字詰めスタイルがシーンを席捲することになります。

 

 

3.字詰め型のフローと新たな課題

 

 ではそんな中でも日本語ラップで一番有名なストーリーテリング曲だと思われる、Tha Blue Herbの"未来世紀日本"を今度は見てみましょう。全体だと長くなるので、主観視点になるパートを抜き出してみます

 

 

 

"のしかかる重圧がいつまでもオレを起こす 最終便に仲間と乗る

行き先は第6ステーション通称「希望の城」

尾行をまくためドアの閉まり際に降りろ

ゲートを潜る 聞こえるE2-E4 CGの月も全てが理想のシンボル"

 

"目一杯キマった行きつけのシアターで 久々に眠りにつかまってしまった

しばらくの間オレは起きようとはしなかった そこでまた同じ夢を見たんだ"

 

"オレが橋についた時 はもう来てた 妙にまじめな顔をしてるのが窺い知れた

何かにおびえて変にイラついてた 挨拶もそこそこに泣き始めた"

 

"茶色い太陽が地上からは見えた 奴とはあのまま一杯も飲まずに別れた"

"スマイリーがオレに渡したフロッピーケースをポケットに入れて72階で降りて

そして無言で できるだけ急いで 途切れ途切れの不安をしのいで

ひとりで部屋につきすぐにディスクを入れ 真っ暗な中見つめるディスプレイ"

 

 以上です。ちょっと驚きじゃないですか?

 実際、あれだけ膨大な行がありながら、これ以外のリリックは未来の日本の悲惨な光景や主人公の過去の回想、それにまつわるアイテムが断片的に淡々と描写されるだけなんですよ。

 にも関わらずリスナーとしてはすごく映像的なリリックだなという印象を抱くんですが、映像のように連続的(つまりアクションをカメラで追うよう)なパートはほんの一部なんです。ちなみに、主語述語目的語をぜんぶ含んだ行は以下の4つです(過去の回想を含めるともう少しありますが)。

 

"のしかかる重圧がいつまでもオレを起こす”

"しばらくの間オレは起きようとはしなかった"

"オレが橋についた時 はもう来てた"

挨拶もそこそこに泣き始めた

 

 それでもBoss The MCはやはり卓越していて、一人称でオレ、そして三人称でスマックラースマイリーをと呼び、ちゃんと主語も加えてます。これで文中にも韻をちりばめているんだからスゴイですよね。

 

 ではもうひとつだけ、満場一致で「今イチバン乗りに乗ってるMC」であるZORN氏が、現在のダミ声になる前にリリースした傑作"雨、花、絵描き。"のリリックを見ていきましょう。本稿では2バース目をば。

 

 

 

二人は手を繋ぎ合い共に暮らし出した / 片隅で山積みのキャンバスは片付き

薄暗い部屋中に光が降り注ぐ / まん丸い月の夜、風が透き通る

窓辺には日替わりで花が飾られた / ささやかだが鮮やかで心が和らいだ

些細ないさかいや仲違いやわだかまりあったが / どんな時も傍らにはあなたいた

絵描きは変わらずにキャンバスと向き合った / 彼女はそれを眺めるのが好きだった

やはり貧しかったが互いを支え合い / 金で買えないかけがえのない愛を育てた

来月に控えていた彼女の誕生日 / 喜ばせる段取りを何通りも考えた

"金だ、金さえあれば" 思い悩んだ末 / 流行や風潮に合わせた絵を描いた

それを街に売りに行くと飛ぶように売れた / あっという間に評判となり称賛を浴びた

個展を開かないかという相談まであった / "冗談だろこの俺が?" だが浮かれた

もう少しで楽に、その一心で必死に / 無遅刻の仕事をやめ作品に打ち込む

会話の減った二人すれ違う / 寂しさを胸に抱く彼女は声を殺しむせび泣く

そして彼女の誕生日と重なって / 絵描きの個展は大々的に開催された

こんな絵は見たことない、人々称えた /これから先も期待しているともてはやされた

帰り道、とても高価な宝石を買った / これなら上出来だ、喜ぶ顔が浮かんだ

部屋のドアを明けると彼女いなかった

置き手紙に一言 "こんな絵は見たくない"

 

 この曲がリリースされた当時、あまりの出来の良さにも関わらずYoutubeのコメント欄がパッとしてなくて(今は15万再生もあるが、当時は発売しても1万すら届いてなかった)、ついアツくなり「全然反応しないお前らはこの曲に出てくる"人々"みたいだな!」みたいなコメントをした覚えがあるんですが、本当に素晴らしい曲ですよコレは。

 

 まず内容の起承転結はもちろんのこと、感情を沸かせる構成、体言止めはないものの文中でこれでもかと練り込まれるライミング。そして何より、これらを踏まえて三人称で最後まで進む曲はこれを置いて他に無いんですよ。以下に主語述語目的語を含めた行を羅列してみましょうか。

 

"二人は手を繋ぎ合い共に暮らし出した"

"どんな時も傍らにはあなたいた"

"絵描きは変わらずにキャンバスと向き合った / 彼女はそれを眺めるのが好きだった"

" "冗談だろこの俺が?" だが浮かれた"

"会話の減った二人すれ違う / 寂しさを胸に抱く彼女は声を殺しむせび泣く"

"絵描きの個展は大々的に開催された / こんな絵は見たことない、人々称えた"

"部屋のドアを明けると彼女いなかった"

 

 行に対して主語が入る比率も申し分ないですね。筆者自身、久々にこの曲を聴いたんですが...いやあ、何年たってもぐうの音も出ません。

 

 

 さて皆さん分かったでしょう、この頃のZORN氏を目指すのです!

 ...という結論で終わりたいところなんですが、そうもいきません。体言止めをしていない...という点は置いておくとして、この24ビート解釈のフローには致命的な欠点があるのです。

 

 それは...多様性がない!

 

 00年代を愛聴していたリスナーなら分かると思いますが、この手のフローはとかく詰め込みがちで、誰もかも同じようなフローに聞こえがちなのです。それもそのはず、だって詰め込みたいから24ビートで載せてるわけで、言葉間にスキマを空けるならそもそも24ビートで乗せる必要もないのです。

 

 よってこの方法論は00年代の終了とともに徐々に廃れていき、その対岸でBES氏やSEEDA氏が同じ00年代に築き上げてきた、16ビートで言葉数少なく乗せるスタイルが台頭していくことになります。

 

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 さてここらでいったん手打ちにしましょう。90年代、00年代と追ってきたので、次回は10年代の日本語ラップがいかに音節問題と立ち向かったかに焦点を当てていこうと思います。

 そしてそこから紐解き、日本語でストーリーテリングをする上でのヒントを探っていこうと思います。長くなりましたが今回は以上です、Tachibuanaでした。